藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

落語

藤巻です。

 

子供の頃から落語が好きだった。
当時は、三遊亭圓生柳家小さん林家三平三遊亭歌奴なんかが活躍していたと記憶している。
でも古今亭志ん朝を知ってからは志ん朝一辺倒になり、ビデオデッキを買ってからテレビで古今亭志ん朝をやれば必ず録画した程だった。
兎に角志ん朝の落語は別格で、自分の中では志ん朝とそれ以外の落語家に分かれる。
もう歳老いたので志ん朝以外の落語は見なくても良いかなとさえ思っている。

何故落語に惹かれたのかは定かではないが、扇子と手拭いだけ持って高座に上がり首を上下(右左)に振るだけで何人もの人を演じ分ける。
上手い落語家の口座は、あたかもそこに吉原の街が現れ多くのひやかしの客が目の前を歩いているような錯覚に陥る。
見事なものだ!
特に志ん朝の落語などは芸術の域に達していたと思う。

「落語は人間の業の肯定」だと立川談志が言ったそうだ。
人間なんて所詮どうしようもないものなんだよ!ということか。
となると藤岡藤巻にも通ずるものがある。
だから落語に惹かれていたのかも知れない。
それにしてもオレは子供の頃から人間のどうしようもなさを悟り、それを肯定して貰いたかったのか?

これを書きながら思ったが、他に憧れを込めて落語に出て来る江戸っ子の美学が好きだった気がする。
「粋(いき)」とか「通(つう)」とか、なんかかっこいい!
こんな風に生きたいと思ったりした。
この辺のことは長くなるから次回にしようっと。