「藤岡藤巻」のフジオカです。
先日、元上司の訃報が届きまして。
まあこの年代になると、訃報には慣れっこになってるんですが、退役後も長く過ごした数少ない友人の訃報は、やっぱケッコウ応えますね。引きずってます😓
つまり、以下はまったく個人的な内容でつまらないので、読まないでもイイです。
前の会社の上司だったんですが、会社の上司って、辞めるとほとんど会わなくなるもんですが(嫌な奴が多いしね)、今回、他界した先輩は、退社後も「友人」のままの関係を10数年続けた、稀有な例でした。
「藤岡藤巻」を絶賛し続けてくれていて、在職中はさすがに遠慮してたようですが、退職後はブログはじめ、事あるごとに論評を周囲にアピールしてくれて応援してくれてました。ライブにも何度も来てくれて、いちいち細かい評価を送ってくれました。(まあ、洋楽系のプロデューサーだったので、評論は大得意で)
残念ながら数年前にリンパ癌を患ってしまい、コロナ以降、ライブはおろか、リモートでたまに会うだけで、生対面出来ずに逝きましたが。
あ、クドイですがこの話は、フジオカのただの独白なんで、この辺で飽きてもらってダイジョブです。
「訃報慣れ」してるはずなのに、彼のだけが特別に辛いのは、何故なんだろう?と思っていろいろ考えてしまっているだけです。
好人物だけど、だらしない人だし、そこそこ切れ者だったけど、付いていこうとは思わなかったし、実際にも大成功した人じゃないし。
彼が「本部長」(レーベルのトップ)だった時に、
フジオカが初めて「制作部長」に配されて、その後は、ヒットが出ず暗い時期を共有したからですかね。
その後、人事異動があってすぐ後に、彼は「夏祭り」(ホワイト・ベリー)で大当たりしますが、ギョーカイ的には、
洋楽部長時代の長いキャリアの中では、CLASHや、CHEAP TRICや、エアロスミスとかに係わった実績のがスゴいですが。
藤岡藤巻の中では、「イメージの宴」が大好きで、御自身のコミュミティFMでもフルコーラスかけたり、ブログで歌詞を全文載せて、分析してくれたりもしました。
「間違いなく、フジオカの最高傑作だ」とか、
「歌唱自体は、藤巻の方が説得力がある」とか、
イラつく評価もありましたが、真剣に聴いてくれてるのは嬉しかったです。
「娘よ」の誕生のキャバクラに一緒に行ったのも彼ですし、
「やらしてくれ」のヒントもいただきました。
「死ね」シリーズも全部絶賛してくれてたので、告別式では複雑な思いもしましたが、理解してくれていたと確信します。
まあ、今後はこんなに偲ぶ話書いても良くないと思うので自粛しますが、ペッターちゃんがブログかける場を与えてくれた際に、参考にしたのも彼のブログでして、なんと2006からAmebaで、千回以上書かれていて、どれも秀逸なエッセイです。
今となっては、長~い遺言な気もして、「こういう最期の記録の仕方って、現代ならではだなー」と思いました。
闘病中の報告とか、退院の悦び(数回、入退院の報告がありました)とか、
死が迫ってきてからのブログは、リアルタイムな静かな迫力を感じました。最後の瞬間は、突発の発熱~ICU~臨終という、残念なカンジでしたけど、まあ、「好きなタイミングで死ねる」人だったというのは、ちょい羨ましい(-_-😉
願わくば、見習ってこのブログを続けながら、長い遺言になればと思います。
今年で近しい人の訃報は4件目になります。
でも、かと言って「死ね」シリーズを控えようとは全然思いません。むしろ「死」を歌い続けたい決意です。
亡くなった方を思いながら、「死んじゃう音頭」を聞くと、
独特な想いで聴けます。不謹慎だとはまったく思わず、むしろ「死」をもっと深く笑える曲を目指したいです。
が、なんか、切なさや、喪失感や、虚無感は別物で、泣きそうにはなりますが。
「根っからの無神論者の、人が死ぬということへの納得」みたいな思いです。
「♪死んだら骨になる~」