藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

急に思いついて『CHAR』との想い出

藤岡藤巻」の藤岡でっす。

 

先日、CHARの大ファンというアマチュアのオジサン(60才くらい?)が、「気絶するほど悩ましい」をエレキ弾きながら歌ってました。「ドンピシャ世代」だそうで。

 

CHARとは実は「尾崎家の祖母」のレコーディングで初めて出会って、当時は「スタジオ・ミュージシャン」ってのは、明確な職業ではなく、たまたま「スモーキー・メディスン」というバンドがエレックレコードに所属して、金子マリ始めメンバーみんなやたら上手いので、レコーディングに良い様に使ってただけだと思います。

 

んでまあ、スタジオで、1mくらい目の前でギター弾かれて、藤岡も多少エレキに自信はあったんですが、「もうエレキの道は諦めよう」と決心した記憶があります。聞いたら18才ですと!(フジオカは22才)

 

尾崎家の祖母」のイントロ、間奏、エンディングは、たぶん2回くらい弾いただけで、非の打ちどころのないアドリブ弾きやがって、バケモノだと思いました。

因みにアレンジャーは、S瀬寿一サンだったと思いますが、

藤岡が書いた歌詞カードのコードを、コード譜に移しただけで、まあアレンジって呼べる仕事じゃねえなー、こりゃCHARのアレンジじゃん、ってカンジでしたわ。

 

とにかく「尾崎家の祖母」みたいなコミックソング弾かせて、申し訳ない気分だったですが、なんせヤツも右も左も分からないガキんちょ天才でしたから、文句も言えなかったんでしょう。

 

その後のCHARはご存じのとおりですが、たぶん「気絶するほど~」は、本人はまったく不本意だったと思います。まあ、レコード会社とかのオトナに強引に説得されたんでしょうね。でも、結局は、一般的には代表曲になってるワケで、ギターが幾ら上手くても、結局は「ヒット曲」は生まれないですね、オトナの戦略がないと。

 

E.クラプトンが、それにいち早く気づいて、ヒット志向に進んで「Tears in Heaven」でグラミーかなんか獲って、ギタープレイの方はどんどん衰えていったのと真逆ですね。

つまるところ、Charは、エレキが好き過ぎたんでしょうね。

その後も作曲家を目指したりして、ディレクターになったフジオカは、依頼したりしたんですが(「尾崎家の祖母」の話をしたら、曖昧な対応でしたが)、残念ながら、出来たのはややこしい曲で、ボツにせざるを得ませんでした。

 

名プレイヤー、必ずしも社会的評価受けられず、といったところでしょうか。押尾コータローとかもそうですが、スーパーミュージシャンは何処かで、オトナにならないと(つまり自身の理想を捨てないと)、大衆の支持は得られないですね。

 

前述のスモーキーメディスンのKeyboardの佐藤準も、異常なテクニックだったですが、後にアレンジャーとして売れっ子にはなりましたが、おニャン子の「セーラー服を脱がさないで」を作曲した以外は、後藤次利にとって代わられた(次利もベースは上手いよ~)のは、たぶんオトナになって魂売ったからでしょうね。

 

まりちゃんズも、藤岡藤巻も、最初っから魂売ってんですが、結果が今ひとつなのは、魂を売り過ぎたせいかもしれませんね(;^ω^)

 

いずれにしろ、今聞いても、「尾崎家の祖母」のギターは、CHARのキャリアの中でも、一番の名演じゃないかと思います。若さだけで才能を爆発させてるところが、クラプトンの「CREAM」解散ライブの「Crossroads」の奔放なソロに匹敵するんじゃないかなあ。

 

ギタリストは、歳月を経ると味わいは増えますが、どうしても、天才の一瞬の奇跡は、若さならではですねー。