藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

長渕剛との想い出

フジオカです。

昔の記憶はまあ、曖昧なうえに、脳内で改ざんしてしまってるので、以下のエピソードはあんまし定かではありませんが、あの頃友人だったのは間違いないので、長渕剛との想い出を書き留めておこうと思いました。

本人は、今さら昔の話を語られるのは面白くないかも知れませんが、リスペクトしてる話なので我慢していただけるでしょう。

 

まりちゃんズを解散した後、フジオカは別な仲間と、普通の(ってのもおかしいけど?)バンドを組みました。

「Do!」という3人組で、まあシティ・ポップで、アルバム2枚と、シングル幾つか出しました。もちろん売れなかったけど。(こっちは、出来れば探して聴いたりしないでくださいな。カッコつけた恥ずかしい曲ばかりで(;^ω^)、出来も良くないし)

 

その頃、彼と同じ事務所だったということで交友して、事務所の社長兼プロデューサーのG氏の発案で、剛&Do!で、「チョコレッツ」という、いい加減なユニット組んで、いくつかライブやった記憶があります。

 

んで、その頃、渋谷の松濤の剛のマンションで、曲作ったり飲んだりして、仲良くなったんですが、特にフジオカは、何故か毎晩のように電話もらって(当時だから、固定電話ね)、長時間会話してました。

 

んで、彼のシングル「夏の恋人」を一緒に作ったんですが、

誰かと一緒に曲を作る作業の難しさも体験させてもらいました。「こっちのメロの方がイイ」「オレはそうは思わない」とイイ出したら、キリがないですからね。

レノン&マッカートニーが「奇跡」な所以ですね。

余談ですが、「藤岡藤巻」の作曲は全部、フジオカ担当なんですが、藤巻君はメロに関して文句を言ったことは一回もないです。良いとも、悪いとも言わないのはムカつきますが。まあ全面的に信頼されてると捉えれば、モメないで済むし。

 

剛の話に戻りますが、今のイメージからすると意外でしょうし、ホントの彼を理解してる人にしか納得してもらえると思うんですが、特にあの頃の剛は(「順子」とか「巡恋歌」の頃ね)、メッチャ繊細な奴でした。言動は乱暴なんだけど、アイドルっぽく売れちゃった感があって、本人も悩んでたんだと思われます。

東京で相談する友だちもおらず、んで、病んでるフジオカに共感したんでしょうかね?

「田舎者のコンプレックス」と、「東京生まれの後ろめたさ」みたいなことは、よく話題になりました。

 

とはいえ毎晩、何を話し合ってたかまったく覚えてませんが、ワリと本音で語り合ったのは間違いない気がします。お互い、青かったですからね。

 

後に、ニッポン放送ラジオで、「長渕君と藤岡君」という、月~金の帯番組の相棒にも(オーディションとかしたらしいけど)何故か無名のフジオカを選んでくれて、メジャーなラジオ番組のレギュラーという体験もさせてもらいました。途中で、フジオカがCBSソニーに勤めたので短命に終わりましたが。

でもまあ、ラジオ番組体験としては、

ラジオ関東「どーんとまりちゃんズ大進撃」や、

文化放送「一フジ二フジ三オヤジ」(藤岡藤巻)や、

もっというと現在のYoutube配信の方が、全然楽しいですがね。やっぱ、メジャー活動は向いてない性分なんですね。

藤岡も藤巻も、メジャーな席に出ると、急にシュンとなっちゃいますからねー。権威に弱いアングラなんです。情けない。

 

ですから、フジオカとしては、剛がその後、あの変貌を遂げていったのも、彼の繊細さの逆な意味での表れで、コンプレックスのパワーだと見ると、意外ではなかったです。(心ある近しい支持者は、みんな分かってたと思いますが)

 

 

名を残すようなスーパースターは、誰しもが「繊細さ」「コンプレックス」を抱えて、成功してるですね。

逆に「鈍感」「ナルシスト」で成功してるミュージシャンの方が少ないと思います。

 

 

まあ、今現在の剛と会っても、「つよしー」「フジオカさんー」とは呼び合えないし、腹割って話す可能性ももうないとは思いますが、もしか死の間際にプライベートで会えるとしたら、「で、実際の所、人生どうだった?」とか話しあいたい気もします。