藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

何の為に生きてる?

「藤巻さぁ、お前何のために生きてるの?」
高校1年(1967年 15才)の時、部活で尊敬している1年先輩に練習中のコートでいきなり尋ねられた。
「え、死にたくないからですよ!」
「それは何のために生きているかの答えではなくて、なんで生きているかの答えだよ」

そうかあ、俺は一体何のために生きているんだろう?

1週間色々な本を読んだり考えたり悩んだ。

そして出した結論が

「もしもここにタイムマシンがあって、今から死ぬまでずっと寝たきりの状態が続いてそのまま死ぬ。というような未来が見えたら、自分は多分今すぐ自死するであろう。
でも実際にはタイムマシンはないから、未来の事は分からない。今日より素晴らしい明日、明日より素晴らしい明後日が待っているという期待を込めて生きている気がする。言い換えれば幸せになるために生きているのではないだろうか!」

と、その時の藤巻少年は思い込んでしまった。

幸せの定義は全員違うだろう。金持ちになることが幸せ、社会的に偉くなることが幸せ、良い男・女と付き合うことが幸せ、100人いたら100通りあるだろう。
その時自分はとにかく楽しいことだけをやる人生を生きよう、と心に誓った。それと同時に、全員幸せの定義は違うのだからそれぞれの人の幸せを全て肯定しようとなぜか強く思ってしまった。自分の幸せも否定されたくないし。
そして楽しいことをやる為の努力は割と惜しまず出来るタイプだった気がする。
その結果が楽しくないと思われる努力は全く出来なかったが…

その後の人生は、陽水の唄ではないが「楽しいことなら何でもやりたい、笑える場所ならどこへでも行く」という気持ちで生きて来た。

その結果71才になっても楽しい毎日を過ごしているし、人生に後悔もないから56年前のあの決心は間違ってなかったのかも知れない。