藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

入院後、人生観変わる!

藤岡です。

 

まずやっぱ、「死」に対する概念に影響出ますね。

 

肉親、身近な人、影響力のあった人、有名な人、たくさんの「死」を接してきたけど、自分の「死」は、思春期からさんざん考えてきたはずなのに、「リアリティ」が、まあ桁違いです(あの、何度も言いますが、超早期発見なんで、現在は心配ないんですが)。

 

そして、自分の健康観にも自信がなくなります。不摂生は置いといて、サプリだ、サウナだ、散歩だの、楽ちんな健康法は実践してきた(何故か「サ」が付くね)つもりだったんですが、「他の爺さんよりは気を使ってる、すなわち長生きする」という自信が脆くも瓦解しました。結局、寿命ってのはそれぞれ個体差があって、「運」だけなんですねたぶん。あ~あ。

 

そして、手術自体の辛さは覚悟してたんで、思ったほどではなかったですが、付随した異常な症状が(これも体質によるらしい)、入院中に2度、退院してからも2度、突然襲われました。主治医によると、「身体的ショックの出方はみんな違うが、消化器系全般に異常は現れることが多い」そうでした。内容は憚れるので控えますが、まあ消化器系の癌なので、それに伴うひっ迫した突然の症状です(;^ω^)

 

数回、一睡も出来ずに耐えるだけ、という夜を過ごしました。ひっ迫してないので、深夜当直のスタッフも、緩い対応しかしてくれませんが、こっちゃ必死ですよ。

 

まあ結果、退院して変わったのは、

「無茶が出来ない」という本来当たり前の感想に、「箔がついた」カンジですかね?

 

20代で「テキーラはやめよう」

30代で「一気飲みはやめよう」

40代で「食いすぎはやめよう」

50代で「徹夜はやめよう」

60代で「3件目はやめよう」

70代で「無茶はやめよう」ですからね、ただの快楽主義者の生涯です。

 

「快楽主義」というと、誰もが藤巻君の方が上、と感じると思うですが、似て非なる共通部分なんですが、

藤巻君の場合は、「快楽の質を下げて、だから毎日快楽」

ってのと、

「もっと快楽を極めたい。そのためなら苦難も厭わない」ってな、差異ですな。こればっかりは答えが出ませんが。

 

まあ、どっちも「人間の業」の世界なので、無限に馬鹿になるのも無理だし、無限に頑張るのも無理で、どっかでお互い自分を誤魔化して生きるしかないんでしょうね。

 

先週の胃カメラで、医者から「日常に戻ってダイジョブです」と言われ、せっかくの教訓的な手術体験の風化が始まりそうで、悩ましい現在です。

 

もちろん、悩みながらでも、お気楽に生きても、あと10年余りですからね。

 

もうどうでもいいや。

何もかも、なるようになれ!

 

同い年の、プーチン大統領は、何を考えながら死ぬんでしょうかね?

「死」ばかり考えてたドストエフスキーを生んだ国ですからね、「死」を無視する術も会得したのかも知れませんね。