藤岡藤巻の楽屋

ゆるーく書きます

極上のパクリの味を『父さん』から学んでみないかい?

静 炉巌(せいろがん)です。だぁーれだ?

 

 あらためて言いますよ。パクリを舐めるな! 劣化コピーなんぞというジャンクに手を染める連中に、パクり道を歩く資格はないわさ! わかりますよね、奥さん!

 

 でもね、ここでオレは思ったわけ。あの魯山人だって、ファストフードしか食べたことがなきゃ、ホンモノの味なんてわかるはずがない。

 

だから、まずはホンモノのパクリを知ることが大事だってね。アツアツの肉汁が滴る極上のステーキみたいな、藤岡藤巻のパクリってやつをさ。

 

 それではパクりを目指すヒト! 本日のテキストは、藤岡藤巻のセカンドアルバム藤岡藤巻になります。持ってないヒト、買ってください。持ってるヒト、もう1枚買って、近所に配りましょう。

 

 では、今回の課題曲。アルバム4曲目の父さんを聴いてみてください。音量に気をつけてくださいね。あまり大きな音だと、ご近所さんがビックリしますから。

 

 はい、聴きましたね。この歌、ざっくりと言ってしまえば、“無邪気に平和への夢を語る息子を、戦争体験者の父親が理不尽に怒鳴りつける“という内容です。

 

 Aメロを藤巻さんが息子役で歌い、サビの父親役を藤岡さんが歌ってます。“父親の理不尽“パートを楽曲で表現する手法は驚異的で、「昭和のオヤジって、こんな感じだったんだろうな」と思わせる説得力がありますよね。

 

 でもね、Aメロ、なんか聴いたことがあるっていうか、妙に耳に馴染んでる感があるような気がしませんか?

 

 さっさと言っちゃいますが、このメロディは”ピーター・ポール&マリー”(Peter, Paul and Mary)の1963年のヒット曲『パフ』(Puff, the Magic Dragon)っぽいです。大瀧詠一も『デッキ・チェア』(歌:スラスプティック)、『スピーチバルーン』で、まんまパクってますね。

 

 とはいえ『父さん』は、「ちょっと、他人の空似が過ぎないかしら?」なんて感じるかもしれません。当然です。だって、ここで使われている手法は、“パクリ48手“のなかでも、禁じ手とされている“出向“(しゅっこう)という手法なんですから。

 

 “出向“とは、サラリーマンであれば“出世街道を外されて子会社行き“など、マイナスイメージがある悲しい響きの言葉。パクリ道では、“パクリ元のメロディのまま、パクリ先に行くこと”を意味します。

 

 本来なら、それは雑魚(ザコ)野郎が安易に手を出すダッサい“丸パクリ“のこと。でもね、“パクリ界の千利休“とも呼ばれる藤岡さんが、理由もなくジャンクな手法に手を出すはずがないでしょ? 

 

巨匠が禁じ手である“出向“を用いたのには、そうしなければならなかった2つの理由があるのです。ひとつめの理由は、簡単であると同時に衝撃的でもあります。

 

 藤岡さんの相方である藤巻さん藤岡藤巻)は、歌にはあまり興味がなく、ライブでは世間話を延々と続けることで知られています。藤岡さんが新曲を作ってきてもなかなか覚えません。それどころか10年以上も歌っている歌でさえ、うろ覚えなのです。

 

 藤岡さんは、そんな藤巻さんに初めて『父さん』のデモを聴かせたときにこう言いました。

 

藤巻くんさ。きみが覚えやすいように、きみのパートは『パフ』のメロディにしておいたから。メロディがわからなくなったら『パフ』を歌えばいいよ

 

それは助かる。だったら歌えるかも!

 

メンバーがなかなかメロディを覚えないから、知っているメロディをもってきた”…ボーカルのガイドラインとしてのパクリ

 

これは長いパクリの歴史においても、他に類をみないケースです。世界最高峰のバンドと言われた、あのビートルズでさえ、思いつかなかったに違いありません。

 

 さて、ふたつめの理由は『父さん』という歌の本質に関わるものです。実は『父さん』という歌は、楽曲単体として成立しつつ、藤岡家の歴史の一部を切り取ってカリカチュアライズした作品でもあるのです。

 

 藤岡さんのお父上は厳格な方で、歌詞に「オレが戦争で満州に行ったときゃ♪」とある通り、満州からシベリア抑留を経験した戦争体験者でもあります。

 

 お父上にしてみれば、そんな過酷な体験をしてまで守ろうとした日本が、いつの間にか軟弱な国になっている。能天気に平和を叫ぶ”戦争を知らない子供たち”である息子は、長髪でロン毛、髪を伸ばした若者になってしまったのだから、内心はこの、ロングヘアめ!とジクジクたる思いがあったことでしょう。

 

そして、この歌のような父子の対立が、現実の藤岡家にもあったと想像できます。

 

 この構図を際立たせるために、巨匠は”平和”を口にする息子が歌うメロディに、当時の反戦をもってきたのです。

 

パフ』という楽曲は、本来は“子供の成長を歌った歌“ですが、ベトナム戦争当時のアメリカでは、”少年ジャッキーがパフの前に現れなくなったのは、戦争に行って戦死したからだ”と解釈されて、反戦歌だと受け取られていました。

 

 だから『父さん』のAメロは、”藤巻さんでも歌える反戦歌”ということで、『パフ』でなくてはならなかったのです。

 

 さらにサビにおいて、藤岡さんが、若かりし頃に反発した”父親”のパートを受け持ったことは、過去に生じた父子の対立を飲み込んだと解釈することもできます。

 

 つまり『父さん』という歌は、父と子の対立を音楽的に表現しただけではなく、その内側には私小説のように父子の過去を封じ込め、さらにその関係を乗り越えるというミルフィーユのような多層構造になっているのです。この歌は風刺劇であり、ドキュメンタリーであり、ドラマなのです。

 

 もし、ピーター・ポール&マリーが『父さん』を聴いたなら、間違いなくこう言うに違いありません

 

“Now I finally understand! The reason we sang "Puff" was to get a crack at Fujioka Fujimaki!“(今、やっとわかった! オレたちが『パフ』を歌ったのは、藤岡藤巻にパクられるためだったんだ!)と。

 

 余談になりますが、『父さん』の歌詞が私小説的だとするならば、歌詞には描かれていない“父さん“のエピソードも、また作品に重ねることができるかもしれません。そうすることで、より“父さん“を感じることができるのです。

 

 藤岡さんの一年後輩の山田さんは、“すみちゃんとステゴザウルス“のメンバーですが、いわばパクリの達人“とも言える人物です。

 

山田さんは、学生時代に藤岡家に入り浸っており、そこで藤岡さんの知らないうちに、お父上の蔵書をパクっては古本屋に売り飛ばしていたといいます(「当時、5万円ぐらいになったんだよ!」と山田さんが自慢してました)。

 

『父さん』で理不尽に怒鳴っている“父さん“が、実は理不尽に山田さんから蔵書をパクられていたそう思うと、この歌にまた一つ、なんとも言えない感情の層が重なってきます。

 

結局のところ、我々は巨匠の手のひらと、山田さんの手癖に、為すすべもなく踊らされているだけなのかもしれません。

 

パクリ道は険しく終わりのない道。パクリ道を志す皆さん、くれぐれも違う方のパクリ道に迷い込まないようにしてくださいね。