静 炉巌(せいろがん)です。知らないって? 誰でもいいじゃない。地球には80億人いるんだからさ。
で、前回、藤岡さんがライブに来なかったなんてコトをちょろっと書いたけど、その“ちょろっと“ってのが、“サマー・ソニック“出演の時だったんだよね。
“サマー・ソニック“といえば、千葉と大阪で同時開催される大規模な夏のロック・フェスティバル。ちょうど藤岡藤巻のファーストアルバム『藤岡藤巻Ⅰ』が発売される1ヶ月前、2006年8月13日のことだった。
メジャーデビューを控えた藤岡藤巻は、ナイター枠とはいえ、出演CMの全国放映も決まって、まさにこれからという時期。”おやじバンドブーム”の流れもあって、早々にサマソニから出演オファーがあったわけ。さすがサマソニの主催者は、わかってるヒトだったんだね。あの熱狂的な大ステージに、藤岡藤巻が立つんだよ。
藤岡藤巻の出演する当日の正午前。幕張会場は、すでに若者を中心に多くの人たちでごった返していた。当時のバンドメンバーは、今はフォーク居酒屋『風に吹かれて』のマスターである金谷さんがギター担当で、サイドギターは竹ちゃん。キーボード/ベースは羽生さんだ。
バンドメンバーと、会場の片隅に設置された関係者用のテント入口で藤岡藤巻を待っていると、到着したばかりの藤巻さんと会場警備員が、なにやら揉めている。
「ここは通れませんよ」
「このイベントの出演者なんですよ。楽屋に入れてください!」
「このチケットでは入れません」
「だって、さっきこの楽屋に行けって言われたんだから」
「他にチケットはありませんでしたか?」
「これしか貰ってないですよ!」
「でも、このチケットでは入れないんです」
「だって、出演者なんだから入れてよ!」
「すみません。仕事なんで」
「じゃ、主催者に電話して確認してもらいますから!」
「そうしていただけると助かります」
藤巻さんが電話をかけると、反対側のテントから、慌てた様子のスタッフが飛び出してきた。
「藤巻さ~ん! そっちじゃないですから! こっちの楽屋ですよ~!」
出演者たちのホールと楽屋は、いくつかに分けられている。この中に入れば、国内外の大物ミュージシャンたちとのご対面だ。
ドキドキしながら、案内された出演者用テントに入ると、そこにはミュージシャンの姿はなく、集まっていたのは独特過ぎる風体の芸人さん達であった。
金谷さんが叫んだ。「ここって、お笑いステージじゃん!」
サマーソニックには、ミュージシャン達の演奏の合間にお笑いが楽しめるように、”サイドショー”と呼ばれる演芸ステージが用意されていてる。
藤岡藤巻が呼ばれたのは、音楽ステージではなく、演芸の方だったのだ。藤巻さんが阻止されていたのは、ミュージシャンの楽屋だったのか!
テントの反対側は演芸ステージになっていて、まさにイベントが始まろうとしていた。司会者の声がテントにまで響いてくる。
「お待たせしました! サイドショーのはじまりです。今日は名前を聞いても誰も知らない、無名の芸人さん達を取り揃えております!」
金谷さんがまた叫んだ。「しかも、無名グループじゃん!」
メンバーが自分達の状況を把握できていなかったのには理由があった。
イベントの連絡役だった藤巻さんは、直前まで主催者のFAX番号しか控えておらず、自分からは電話ができない状態となっていた。
しかも、「面倒くさいから」と前日のリハーサルは断ってしまい、当日の朝7時から予定されていたリハーサルも「ゆっくり寝ていたいから」と断っていたので、メンバーは本番で初めて会場に足を運んだのである。20分の持ち時間とはいえ、あんまりではあるまいか。
藤「とりあえずどっかで、今日、何を演奏するか決めようよ」
藤岡さんがイベントをサボったので、準備は何もできていなかった。だって、いつもは藤岡さんが仕切ってるんだもの。メンバーは楽屋を出て、藤巻さんを先頭に会場内のカフェテラスへと移動した。
藤:「時間的に4曲ぐらいかな。イベントだし、最初は”まりちゃん”でどう?」
金:「出だしのギターはどうする? いつもは藤岡が弾いてるけど」
藤:「そこは代わりに金谷くんが弾いてよ。歌はどっから入るんだっけ?」
どっから入るんだっけじゃないよ! これまで散々、歌ってきたじゃん! 羽生さんと、タケちゃんも心配そうだ。
羽:「最初にペロリーンってギターが入って、チョロリーンってきたら、トントントンで歌に入るんだよ」
竹:「あの…僕、”まりちゃん”って歌は、昨日はじめて聞いたんですけど…」
藤:「みんな、歌詞とコードは持ってる?」
竹:「ないです」
金:「オレも持ってないよ」
羽:「オレはあるかな…いや、ないや」
藤:「じゃ、歌詞はオレが持ってるやつをコピーするから」
金谷:「でもオレ、メガネ忘れちゃったから字が読めないけど」
メガネもってきなよ! なんだよ、もう! 藤岡さんがこの場にいたら、「お前ら、いい加減にしろよ!」とぶちキレれる場面である。
藤:「あと、コーラスは覚えてる? ”まりちゃんがウンコをするなんて~♪”のとこ」
金:「そこは”ウンコしちゃダメ~♪”って入るだけでしょ?」
羽:「違うよ、”ウンコをする”のとこにも入るよ」
オープンカフェに、”ウンコ”コーラスを練習するオヤジたちの声が響く。隣のテーブルのカップルが、眉をひそめてこっちを見た。残りの曲目と曲順もようやく決まったところで、羽生さんがうつむき加減につぶやいた。
羽:「いよいよとなったら、ステージから逃げるしかないよね…」
藤:「そういえば、昔、まりちゃんズの頃に本当にあったんだよ。その時はヘンな宗教団体から何人かのミュージシャンと一緒に呼ばれてさ。会場はだだっぴろい万博跡地で、信者みたいなのがたくさんいるんだよ。それでトラックの荷台で歌うことになってさ。アン・ルイスなんかショベルカーのシャベルのとこで怖々と歌ってたんだよ。で、主催者はオレらかどんなグループかも知らずに”まりちゃんズ”っていう名前だけで、女性グループだと思って選んだらしいのね。それでオレたちが歌いはじめたら、いきなり教祖様みたいのがスッゲー怒りだしちゃってさ。マネージャーが『逃げろー! ギャラはもらってるから逃げろー!』とか言いながら走ってきて、オレたちはトラックから飛び降りて走って逃げたんだよね」
みんなゲラゲラ笑ってるけどさ、オレも笑っちゃったけどさ、今って、そんな話で笑ってる場合じゃないよね? それってわかるよね?
打ち合わせを終えて楽屋に戻ると、スタッフがステージ準備のために声をかけにきた。“お笑い”ステージだから、バンドでの出演は藤岡藤巻だけだ。客席には、既に演奏を待っている人の姿もチラチラとみえている。
メンバーは照明が落ちたステージに上がって、マイクスタンドや譜面立ての準備をはじめた。だがキーボード担当の羽生さんの様子がなんだかおかしい。
「…キーボードがないんだけど」
えぇっ~! そこ!? キーボードないの!?
考えてみれば、音楽ステージならキーボードが設置してあるのは当然のこと。でも、お笑いのステージにキーボードなんて置いてあるわけがない! もう! リハをやらないからこういうことになるんじゃん。
羽生さんはキーボードだけじゃなくベースも担当している。とはいえここにはベースもない。そんなわけで急遽、藤巻さんが弾くはずだったギターを羽生さんが弾き、藤巻さんはボーカルに専念することになった。
でもさ、藤巻さんがボーカルに専念するはいいとして、残りのメンバー全員…金谷さん、羽生さん、竹ちゃんがギターってなんかヘンじゃない?
なんとかセッティングが終わって、ステージがライトで照らされる。その様子は頭上の大スクリーンにも映っている。司会が藤岡藤巻を紹介して、ライブが始まった。
藤:「こんにちは、藤岡藤巻です。あの…ごめんなさいね。まさか、こんなステージだとは思わなくて安請け合いしちゃって。今日は聞くところによれば僕らが一番、歳くってるらしいんですけど。で、本当は藤岡っていう相方がいるはずなんですけど、来れなくなっちゃったんですよ。相方がいないと漫才師がピン芸人になるようなもんで、ちょっと辛いんですけど今日は頑張ってやります。で、僕らはふだんサラリーマンなんですけど、今日はミュージシャンのつもりで来ました。でも、来てみたらお笑いステージで…。一曲目は30年ぐらい前の歌ですけど、僕らが同じクラスで憧れてた”まりちゃん”っていう女性に捧げる歌です。和式便器を思い浮かべながら聞いてください」
1曲目は、さっきコーラスを練習したばかりの『まりちゃん』だ。「こいつら誰だよ?」と胡散臭そうな目をステージに向けていた観客達の頬も、やがてニコニコと緩んでくる。
曲を終えると大きな拍手が起こった。いつもなら1曲ごとに藤巻さんの長いMCが入るけど、今回は早く逃げ出したいからサクサクと進む。『まりちゃん』の後は、MCを挟みんで『いいよなー、若くて』,『牛乳・トイレットペーパー・海苔』と続いた。
藤:「9月の13日に…ソニーも何を考えてるんだって言いたくなりますけど、SMEレコードっていうところからアルバム『藤岡藤巻Ⅰ』でデビューをします。で、もう最後の曲になっちゃうんですけど。僕らも、もうあと何年かしか生きられないのでどんどん暗くなってます。若い頃は『ドレミの歌』みたいな明るい歌も歌えたんですが、今はもう歌えません。これから歌う曲はマイナーな暗い気持ちを歌にしたもので…『ラシドの歌』です」
『ラシドの歌』は、いつも藤岡さんが歌ってるので、藤巻さんがリードをとるのは初めてだ。しかも、リハもやってないから、ぶっつけ本番である。
でも、藤巻さんのボーカルは、藤岡さんに成りきったかのように冴え渡っていた。『ラドド、ドミミ、シレレ、ファソソ♪ ラドド、ドミミ、シレレ、ファソソ♪』
演奏が終わると、客席からは大きな拍手が沸き起こって、メンバーはステージを引き上げた。裏手のテントでメンバーがホっと一息ついて雑談をしていると、藤巻さんの口から予想外のセリフが発せられた。
「金谷くん、コーラス忘れてるよ。ちゃんと譜面に書いておきなよ」
それは毎回ライブの度に、藤巻さんが、藤岡さんから言われる台詞であった。メンバーは、顔を見合わせた。
数々のハプニングを乗り越え、藤岡藤巻は20分のステージを切り抜けた。そんな今、これだけは確実に言える。1時間のステージじゃなくてよかった。あと、サマソニの主催者は、やっぱり、わかってるヒトだった。